椅子に姿を変えられた草太は、護符としてすずめを助けることになる©2022「すずめの戸締まり」製作委員会

椅子に姿を変えられた草太は、護符としてすずめを助けることになる©2022「すずめの戸締まり」製作委員会

2022.11.30

新海誠作品を支える神話的構造――「ほしのこえ」から「すずめの戸締まり」まで(後編):よくばり映画鑑賞術

映画の魅力は細部に宿る。どうせ見るならより多くの発見を引き出し、よりお得に楽しみたい。「仕事と人生に効く 教養としての映画」(PHP研究所)の著者、映画研究者=批評家の伊藤弘了さんが、作品の隅々に目を凝らし、耳を澄ませて、その魅力を「よくばり」に読み解きます。

伊藤弘了

伊藤弘了

前編から続く 
 *編集部注・物語の結末まで明かしています。

キャンベルの「鯨の胎内」

神話学者のジョーゼフ・キャンベルは、主人公が異界へと越境する際に通る空間を「鯨の胎内」と名づけている。なぜ「鯨」なのかと思われるかもしれないが、これはあくまで比喩的なもので、必ずしも鯨でなくともよい。たとえば「天気の子」では、帆高が雲の上の世界を訪れた際に、雲のなかに巨大な魚の姿を見ている【図3】。


【図3】「天気の子」新海誠監督、2019年(DVD、東宝、2020年)
 
その姿は魚のようでもあり、龍のようでもある。「君の名は。」では彗星が龍のように描かれており、瀧がビジョンを見る際には水に落ちるような描写が見られる【図4】。「鯨の胎内」は母胎をイメージさせる空間であることが多く、じっさい、このビジョンにおいては、三葉が生まれるまでの過程が彗星(隕石)や組紐(くみひも)の線形のイメージに重ねて描き出されている。
 

【図4】「君の名は。」新海誠監督、2016年(DVD、東宝、2017年)
 

「天空の城ラピュタ」では「龍の巣」

新海誠が多くを負っている宮崎駿の「天空の城ラピュタ」(1986年)において、ラピュタにたどり着く前に「龍の巣」と呼ばれる雲のなかの空間を通り抜け、そこでパズーが父親の幻を見ていたことを思い起こしてもいいだろう。「鯨の胎内」に該当するような空間はじっさいにしばしば描かれているのである。
 
「すずめの戸締まり」であれば、ミミズがそれに当たる。神戸の廃遊園地で地震を引き起こすミミズを止めに行った際、すずめはミミズの体内に「常世」(「現世」と対をなす言葉で「あの世」を意味する)を見る。そこには幼い頃の自分自身と、震災で亡くなった母親らしき女性の姿がある(母親らしき女性の正体は終盤に明かされる)。すずめはそのビジョンに魅入られるようにして観覧車のゴンドラへと足を踏み入れ、夢遊病のごとき状態に陥ってしまう。
 

「ヒーローズ・ジャーニー」

「鯨の胎内」の例からもうかがえるように、新海誠は単に具体的な神話のエピソードを自作に取り入れるだけではなく(たとえば主人公の岩戸すずめは、天の岩戸のエピソードを下敷きにした多分に神話的なキャラクターである)、物語構造の水準で神話を参照している。
 
多くの英雄譚(たん)が依拠している「行きて帰りし物語」を、前述のキャンベルは「ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)」として定式化し、「出立」「通過儀礼(イニシエーション)」「帰還」の三つのパートに整理した。各パートはさらに下位の要素を含む。キャンベルは下記の17個を挙げている(「千の顔を持つ英雄」)。
 
出立(Departure)
1.      冒険への召命(The Call to Adventure)
2.      召命の拒絶(Refusal of the Call)
3.      超自然的なものの援助(Supernatural Aid)
4.      最初の境界の越境(The Crossing of the First Threshold)
5.      鯨の胎内(Belly of the Whale)
 
通過儀礼(Initiation)
6.      試練の道(The Road of Trials)
7.      女神との遭遇(The Meeting with the Goddess)
8.      誘惑者としての女性(Woman as the Temptress)
9.      父との和解(Atonement with the Father)
10.  神格化(Apotheosis)
11.  最終的な恩恵(The Ultimate Boon)
 
帰還(Return)
12.  帰還の拒絶(Refusal of the Return)
13.  呪的逃走(The Magic Flight)
14.  外界からの救出(Rescue from Without)
15.  帰路境界の越境(The Crossing of the Return Threshold)
16.  二つの世界の支配者(Master of the Two Worlds)
17.  生の自由(Freedom to Live)
 

「トップガン マーヴェリック」も当てはまる話型

「スター・ウォーズ」や「ロード・オブ・ザ・リング」、「ハリー・ポッター」などの著名なシリーズをはじめとして、多くのハリウッド映画がこの話型を採用していることが知られている。最近の作品では「トップガン マーヴェリック」(ジョセフ・コシンスキー監督、22年)も当てはまる。
 
「ヒーローズ・ジャーニー」は、映画に限らず、文学や漫画、ゲームのシナリオにも応用可能なフォーマットである。たとえば、漫画原作者、小説家、批評家、大衆文化の研究者といったさまざまな顔を持つ大塚英志は、キャンベルらの議論を参照しつつ、まさにそのような方向性に則って「ストーリーメーカー 創作のための物語論」(星海社新書、13年)を出版している。
 




「すずめの戸締まり」の主人公岩戸すずめ©2022「すずめの戸締まり」製作委員会 

女性主人公ではあるが

もちろん、このフォーマットを援用する場合であっても、すべての要素を含む必要はない。とはいえ、「すずめの戸締まり」の物語を構造の面から見ると、かなりの程度重なっていることがわかる。
 
「ヒーローズ・ジャーニー」と対をなす「ヒロインズ・ジャーニー」という概念もあり、女性を主人公とする「すずめの戸締まり」にはこちらで説明できる場面もある(特に「通過儀礼」の女性や父が関係する箇所)。ただ、女性性と男性性の葛藤を主題とする「ヒロインズ・ジャーニー」よりは、主人公の性別が女性であっても、「ヒーローズ・ジャーニー」の枠組みをそのまま当てはめた方がわかりやすい。
 
キャンベルが提唱した「ヒーローズ・ジャーニー」の構造は、その後、さまざまな人物によって微妙に異なるフォーマットに移し替えられていく。とりわけ著名なのは、クリストファー・ボグラーによるものだろう。ボグラーはキャンベルの概念をもとにして、より創作に活用しやすいように12の要素に整理し直している。
 


 

「すずめの戸締まり」の神話的構造

今回はキャンベルの「ヒーローズ・ジャーニー」の各要素と「すずめの戸締まり」との対応関係を詳しく検討することはしないが、一例として「出立」の項にある「超自然的なものの支援」について見ておくことにしよう。「超自然的なもの」は主人公の庇護(ひご)者として、冒険の助けとなる「護符」を授けてくれる存在である。
 
すずめが封印を解いてしまった要石は、猫のダイジン(大尽/大臣/大神)として顕現し、呪いによって草太を椅子に変えてしまう。ダイジンの振る舞いは一見すると敵対者のそれのように映るが、結果として椅子となった草太をサポートするという名目ですずめの冒険が開始され、また、椅子に変えられた草太はしばしばすずめをサポートしてくれる。すなわち、護符として機能しているのである。さらに、じっさいにはダイジンはすずめたちの導き手として機能していたらしいことが徐々に明かされていき、物語の後半には、失われた「護符」を取り戻そうとするすずめの奮闘が描かれることになる。


「すずめの戸締まり」で護符として登場するダイジン©2022「すずめの戸締まり」製作委員会
 

庇護者は一人ではない

主人公の庇護者は一人だけとは限らない。キャンベルが指摘し、大塚が注意を促しているように、主人公に授けられる「護符」はしばしば衣類の形を取る。すずめが愛媛で出会った同い年の女子高生・千果は衣服を、神戸まで連れて行ってくれたルミはキャップを与えてくれた。彼女たちも間違いなくすずめの冒険を庇護してくれる存在だ。「すずめの戸締まり」で描かれる冒険は、こうした神話的構造に見事に収まっているのである。こうした普遍的な話型の使用は、多くの観客にアピールする必要のある映画にとって、大きな強みとなるだろう。


すずめと同い年の千果(右)も、すずめの庇護者である©2022「すずめの戸締まり」製作委員会
 
もちろん、「行きて帰りし物語」や「ヒーローズ・ジャーニー」の枠組みを援用したからといって、作品が必ずおもしろくなるわけではない。それぞれの要素はあくまで抽象化されたガイドラインに過ぎず、じっさいには各パートに具体的なアイデアを受肉させなければならない。細かな設定はもちろん、アニメーションであるからには映像としてどのように魅力的に描くかも重要である。
 

物語構造から見える作家の独創性

とはいえ、映画を見る際のひとつの方法として、物語の構造に着目することが有効であるのは間違いない。物語の理解や読み解きに資するのはもちろん、作家がどこまで既存のフォーマットを参照し、どこでひねりを加えようとしているか(作家のオリジナリティー)が見えてくる。劇中の描写では必ずしも明らかにされていない部分に関しても、構造の観点から考察を深められる場合もある。
 
映画をよくばりに楽しむためのツールとして、「行きて帰りし物語」や「ヒーローズ・ジャーニー」は「使える」概念なのである。

ライター
伊藤弘了

伊藤弘了

いとう・ひろのり 映画研究者=批評家。熊本大大学院人文社会科学研究部准教授。1988年、愛知県豊橋市生まれ。慶応大法学部法律学科卒。京都大大学院人間・環境学研究科博士後期課程研究指導認定退学。大学在学中に見た小津安二郎の映画に衝撃を受け、小津映画を研究するために大学院に進学する。現在はライフワークとして小津の研究を続けるかたわら、広く映画をテーマにした講演や執筆をおこなっている。著書に「仕事と人生に効く教養としての映画」(PHP研究所)。