石井裕也監督の最新作「本心」は、平野啓一郎による同名小説を映画化したものだ。テクノロジーが急速に進化し仮想空間でのやりとりが当たり前となった少し先の日本を舞台に、時代が変わっても永遠に変わることのない〝人間の心の本質〟をめぐる物語を描いている。本作の映画化は、これが石井監督との9度目のタッグとなる池松壮亮の「これを映画化すべきだ」という提案からすべてがはじまったらしい。
コロナ禍の2020年、時代の転換期にすべてがはじまった
唯一の家族である母(田中裕子)を失った主人公・石川朔也(池松)は、生前に彼女が〝自由死〟を選択していたと聞かされる。彼はすさまじい勢いで変化していく世界に戸惑いながらも、依頼主の代わりに行動する「リアルアバター」の仕事をこなし、やがては仮想空間上に特定の人間を作り出す「VF(バーチャルフィギュア)」という技術によって母との再会を果たすことに。彼女が何を望んでいたのかを知ろうとするわけだ。
池松は2020年の夏にこの原作に出会った。「平野先生の作品からはとても影響を受けています」と述べたうえで、「コロナ禍がはじまったばかりのあの頃、これから私たちはどこに向かうのか、どこへ向かうべきなのか、その答えを探していました。そんな時期にこの小説に出会ったんです。〝アフターコロナ〟とされる現状が、本作にはすべて記されているような気がしました」と池松は当時を振り返る。20年代がはじまった最初の夏。時代の大きな転換期でもあった。
「朔也は池松さん以外にいないかも」
原作者である平野の小説が映画化されるのはこれで3作目。「マチネの終わりに」(19年)、「ある男」(22年)に続くものとなる。平野のもとを訪ねてきた池松と石井監督について「いろいろとお話をしていく中で、おふたりの本作の映画化を実現させたいのだという思いの強さに感銘を受けました」と語る平野。自身の小説の映画化の話はたびたびあるが、こうして俳優がやってくるのははじめてのことだったという。
「そこで自ら行動するところに、池松さんの個性を感じますよね。僕はピュアで真面目な人間の生きる姿を描きたいと考えています。彼らこそが、世界を変えていく希望になると信じています。主人公の朔也を演じる池松さんご自身がそういう方なので、非常にうれしかったですね」と平野は続ける。
「これまでいろんな池松さんの出演作を拝見してきましたが、器用に表現をされる方というよりも、表現に実(じつ)がある印象を抱いていました。ご本人の内側から出てくるものがある。お会いしてみて納得しました。朔也は池松さん以外にいないかもしれません」とも。
俳優に徹した池松と、作者として意図を伝えた平野
池松は本作の企画の初期段階から関わっていたことになる。脚本の改稿をはじめ、さまざまなプロセスに触れていたはず。しかし本人は「いつも以上に俳優であることに徹した」という。
「平野さんに映画化の許可をいただいてから、撮影までに3年かかっています。いろんな関わり方があるのだろうと思いますが、本作の映画化を望むこと以外からは基本的に身を引いたつもりです。この企画を僕が提案したことは、撮影現場では誰も知りませんでしたから」と、池松は本作におけるスタンスを明かす。
映画化に際し、平野は助言をするにとどめたのだという。「原作者が口出しすると、あまりいい結果につながらないと思っています。どうしても小説的な観点で意見を言ってしまいますから。なので脚本に関して相談を受けた際には、原作者として助言をするだけです。僕の考えが採用されたところもありますし、石井さんの考えが反映されているところもあります。いい映画にしたい気持ちは同じですから、それでいいんじゃないでしょうか」と、平野もまた原作者としてのスタンスを明かした。
本作は仮想空間などをモチーフにしていることもあり、俳優の身体というものが極めて重要な位置を占めている。池松は猛暑の中、東京中を走り回った。「肉体が発する言語のようなものがないと、その対比となる世界観を描くことはできないと思いました。10年後、20年後、あるいは100年後には、僕たちの現実は劇中で描いている世界を通り過ぎているかもしれません。でも普遍的なるものをきちんととらえていれば、そこには命が宿ったエモーションが残るはずです。朔也の身体から生じるエモーションを大切にしたいと考えていました」と池松は自身の考えを語る。
たしかに、池松の身体からはスクリーンを超えて訴えかけてくるものがある。平野は朔也を体現する池松に対して「非常に生々しく演じていただきました。劇中のリアルアバターは依頼主の代理をする職業ですが、AI(人工知能)やロボットには取って代わることのできない職業です。こういった人間の存在を描くことが本作のテーマのひとつでした。朔也は、ほかの人々がやりたがらない職業を押し付けられる階層の人間でもあるわけです。そんな中でも朔也は自分なりにすごく考えながら生きています。僕は人間が一生懸命に考えている姿が好きなんです。朔也の真面目さと池松さんの真面目さにはやはり近いものがありますね」と語った。
「本心」より ©2024 映画『本心』製作委員会
三吉彩花、水上恒司、田中裕子らのパフォーマンスを特等席で見られた
本作には平野の〝分人主義〟という考え方が強く反映され、テーマと固く結びついている。ひとりの人間には、対人関係や環境ごとに人格が存在し、これらすべてを〝本当の自分〟だととらえる考え方だ。対面する相手によって、私たちは自然と表情を変えるものだろう。
朔也の母の友人役の三吉彩花、朔也の幼なじみを演じる水上恒司、そして朔也の母にふんする田中裕子など、本作は出番の多寡に関わらず、一人一人の俳優が大きく重いものを負って、それぞれの役を演じている。そして彼ら彼女らを前にすることによって、池松は朔也としていろいろな表情をのぞかせる。
「朔也自身のアイデンティティーにとどまるのではなく、彼は他者性の中に〝生きる〟ということを見いだしています。共演するみなさん一人一人の責任を持った表現と向き合う中で、朔也を立体的に浮かび上がらせてもらったと感じます。今作の描くものの切実さに対して、皆がある種の責任を取って、演じられているように感じました」と池松は共演者たちに対する印象も述べた。
さらに、「一人一人の素晴らしいパフォーマンスを、朔也として特等席で感じることができました」と続ける。俳優であり、ひとりの生活者である彼の思いに呼応するかたちで、いまこの時代に必要とされる映画が誕生したのだ。
「本心」は2024年11月8日より全国公開中。