「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」© Universal Studios. All Rights Reserved

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2023.1.18

ハリウッドの性暴力暴いた記者の奮闘 キャリー・マリガンの力で輝き 「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」:いつでもシネマ

藤原帰一・千葉大学特任教授が、新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。

藤原帰一

藤原帰一

キャスティング・カウチという言葉があります。キャスティングとはどの俳優が誰の役を演じるのか、映画の配役を決めることですね。カウチはソファのこと。ほら、ずっとソファに座ってテレビばっかり見てる人のことをカウチ・ポテトなんて呼ぶじゃありませんか。では、ソファで配役を決めるというのはどういう意味でしょうか。ヒントはソファに複数の人が座ることができること、そして座るだけでなく他の行為もできるという点にあります。


隠されていたキャスティング・カウチ

もうおわかりになったでしょうが、性的な関係によって映画の配役を決めるわけですね。プロデューサーをはじめとした映画の企画担当者が、自分の部屋に配役候補を誘い込み、性的な関係を求め、あるいは強要して、それに応じた場合には映画の役を提供する。映画の企画者は出演者を決める力を持っていますから、俳優との間の力の格差を利用したハラスメントであり、性暴力です。
 
こんなことがあっていいのかと思いますが、あるどころか、映画界では頻繁に繰り返されていたといわれています。いわれていますなどとあいまいな表現を使った理由は、実態が明らかになることが少なかったからです。性行為を拒んだら出演する機会を失う可能性があり、まして関係を求められたと訴えたならブラックリストに載せられて、これからの仕事ができなくなるかもしれない。うわさにはなってもキャスティング・カウチの実態が明らかになることは少なかったんですね。


 

#MeToo運動広めたワインスタイン事件

キャスティング・カウチの闇を暴いたのが、ワインスタイン事件の報道でした。ハーベイ・ワインスタインとは、映画プロダクションのミラマックス、そしてワインスタイン・カンパニーを創業し、ハリウッドに一時代を築いた名うてのプロデューサーです。「恋に落ちたシェイクスピア」「パルプ・フィクション」「イングリッシュ・ペイシェント」「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」など、どなたもよくご存じの映画でしょう。
 
このワインスタインが、何十年にもわたって性的暴行を繰り返してきたと、ニューヨーク・タイムズ紙とニューヨーカー誌が相次いで報道したので、大変な反響を呼び起こすことになりました。結局ワインスタインは自分のつくった会社から追放、膨大な損害賠償を求められる一方、刑事的にも逮捕・起訴され、既に複数の有罪判決が下されています。のみならず、この事件をきっかけの一つとして、性犯罪を告発する#MeToo 運動が広がり、ハリウッドはもちろん他の分野でもそれまでの沈黙を破って性犯罪の被害者が声を上げてゆきました。


 

ニューヨーク・タイムズ記者の実話を映画化

この映画は、ニューヨーク・タイムズでワインスタイン事件を報道し、ピュリツァー賞を受賞した2人の記者、ジョディ・カンターとミーガン・トゥーイーが書いた本を映画化した作品です。
 
ワインスタインが性暴力を加えているという情報を得たジョディとミーガンは取材を進めてゆきますが、最初は誰も話そうとしません。ワインスタインを敵にすれば映画界で仕事をすることができなくなりますから、新聞報道に協力しないんです。また、性暴力を受けた人も秘密保持契約に応じていることが多く、その経験をマスメディアに公表すれば秘密保持と引き換えに受け取ったお金を返さなければいけなくなる。
 
何よりも性暴力の記憶が精神的なトラウマとなっており、それに触れることが精神的軋轢(あつれき)を生み出してしまいます。では、話そうとしない性被害者からどうすれば情報を得ることができるのか。ドラマは情報を得ようとする2人の努力が映画の基本になっています。


 

闇に光を当てた報道を描く

新聞記者による事件報道はいくつもの優れた映画になってきました。代表的な作品は何といってもウォーターゲート事件を報道したワシントン・ポスト紙のウッドワード記者とバーンスタイン記者を追いかけた「大統領の陰謀」ですね。再選を目指すニクソン大統領が元CIA職員などを集めて秘密工作を展開していたことが暴露されるんですが、民主党本部侵入事件に始まって次第に事件の全容が明らかになってゆくサスペンスが忘れられません。最近の作品なら、ボストン・グローブ紙がカトリック教会における神父の性暴力を報道した「スポットライト 世紀のスクープ」が群を抜いた出来栄えでした。
 
最初は小さな事件に見えたものが、次第に大きな事件であることがわかってくるところ、また話そうとしない当事者の重い口を開かせる努力など、この「SHE SAID/シー・セッド その名を暴け」も「大統領の陰謀」や「スポットライト」と同じようなつくりの映画だといっていいでしょう。特に性犯罪を受けたサバイバーへの取材が中心になっているところは「スポットライト」と重なっています。闇に閉ざされていた事件に光を当てる報道ですね。
 


映画を生かす俳優の力

主役の新聞記者は2人とも女性。映画はカンターとトゥーイーの私生活の描写にも力を入れており、妊娠と出産、そして幼い子どもの子育てという大きな責任を負いながら取材を進める姿を描き出しています。ただ、俳優に力がなければ映画が生きてきません。そして、トゥーイーをキャリー・マリガンが演じているので映画に血が通いました。
 
キャリー・マリガン、すごい俳優です。どの映画でも役になりきる力を持っているので、「17歳の肖像」の少女ジェニーもライアン・ゴズリングと共演した「ドライヴ」のアイリーンも良かったんですが、女性参政権運動を描いた「未来を花束にして」や性暴力被害者の復讐(ふくしゅう)劇「プロミシング・ヤング・ウーマン」など、女性の経験に光を当てる映画になると輝く人なんです。


 

日本は課題に答えているか

この「SHE SAID」はちょっと脚本が盛り込みすぎで、言葉によってお話を進めすぎているきらいがあるんですが、キャリー・マリガンのおかげで救われました。過剰な演技はしないんですが、この人が何を感じているのか、セリフに頼ることなく伝えてしまう。キャリー・マリガンだけで見る値打ちのある映画なんですが、ほかにも性的暴行を受けた一人を演じるサマンサ・モートンやニューヨーク・タイムズの編集局次長役のパトリシア・クラークソンなど、上手な俳優が並びました。ワインスタインを告発した俳優の一人アシュレイ・ジャッドが、まさに本人として映画に登場するのもうれしいところです。
 
この映画によってワインスタイン事件の報道を、そして#MeToo運動を振り返るなか、気になっていることがありました。性暴力に光を当てることは世界的なうねりですが、日本社会はその課題に答えているのか。性暴力を加えられた人に目が向けられているだろうか。闇を闇のままに放置してはいないだろうか。棘(とげ)のように刺さってくる課題です。

ライター
藤原帰一

藤原帰一

ふじわら・きいち 順天堂大国際教養学研究科特任教授、映画ライター。1956年生まれ。専攻は国際政治。著書に「戦争の条件」(集英社)、「これは映画だ!」(朝日新聞出版)など。「映画を見る合間に政治学を勉強しています」と語るほどの映画通。公開予定の新作や古今の名作の見方を豊富な知識を交えて軟らかく紹介します。